故郷に帰ってみて ~ 復興の現状 ~



以前 3.11に想うこと を書いた。

過去記事参照:3.11に想うこと



■出発まで

私の故郷は 東日本大震災で津波に襲われ、かつ 原発事故のために 避難を強いられた。





震災後に 何回か帰町はしていた。

当時、警察・消防・自衛隊の車が ひっきりなしに行き交っていた。


2011年4月の写真
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海から数km離れた国道でも、ガレキや漁船がある状態であった。

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最後に訪れたのは5年程前。

当時 まだ 町の境には 警察による検問があり、入るには許可証が必要であった。




その後の様子は ネット・テレビ・親から見聞きしているが、どうしても自分の目で確かめたかった。

反面 現実を見たくない という気持ちもあり、正直言って 複雑だった。





でも、やはり ちゃんと見てこよう という気持ちが強く、先日 東北ツーリング に行ってきた。



ほんとは このツーリングは ブログには書かないつもりでいた。



しかし、自分にしか書けないこともあるだろう。

ここに来ていただいた方にだけでも、福島の復興の現状を 知っていただきたく 書くことにした。




現在は、高速道路を利用すれば、バイクでも町に入ることができるようになっている。


逆に下道では 国道6号線が「二輪通行不可区間」があり、バイクでは途中までしか通れない。

南から北上すると、バイクでは福島第一原発を北に越えられないのだ。



震災前、常磐高速道路は富岡町までしか開通しておらず、以北はずっと工事をしていた。

開通した暁には、実家の町まで すべて高速道路で 帰れるようになる予定だった。


町の中心部に向かう国道は、高速道路の開通に合わせ道路沿いの住宅をセットバックし、拡幅工事が行われていた。

しかし、もうすぐ開通というところで 震災があり工事はストップ。

その後 4年経ち ようやく開通する運びとなった。




■出発から


出発して常磐高速道路に乗り、ひたすら北上する。



茨城県を通過し、福島県に入る。


高速道路上には、放射線のモニタリングポスト・表示板が設置されている。

福島第一原発に近づくにつれ、線量表示が上がっていく。


低い場所では0.1μSv。
高い場所では3.0μSvの表示。


震災直後に町に入った時は、ガイガーカウンター持参でビクビクしながら入ったが、今回気にすることはなかった。




■町に入る


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ようやく高速道路を降りて 町に入る。

インターチェンジより西は帰宅困難区域になるため、バイクでは入ることができない。



あらかじめ どの道を走れるかは把握していたので、まずは父の会社があった場所を目指す。

お天気は快晴。


当時は、自分が故郷の田舎町をバイクで走るなんて思ってなかった。


天気もよく とても気持ちがいい。

なので、こんなに穏やかな町が 目に見えない放射能で汚染されていることとの ギャップをヒシヒシと感じる。


車はほとんど通らない。
ごくたまにすれ違う程度。


しかし、町のあちこちには 除染後の汚染土壌などが、黒い大きな袋に入れられ うず高く積まれている。

そして、道々モニタリングポストが設置されている。


ほどなくして 父の会社に着いた。

そこは以前とそうは変わりない風景であった。

会社の看板もそのまま。


ただし、人はいない。

震災のその日まで、両親はここで仕事をしていた。





次に町の中心地に向かう。


途中で、中学生の時に部活で使用していたグラウンドに立ち寄る。

ここにも モニタリングポストが設置されている。

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当然ながら使用されていないため、朽ちている。

ここでボールを追っていた日々を思い出すけれど、朽ちた この風景と重なり合わない。



次に母校の中学校に行った。

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当然ながら、ここも使われてはいない。

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賑やかだった校舎は、今は静まり返っている。

中学校は別の町に避難しているのだ。

自転車をとめていた自転車置場、日向ぼっこした場所もそのままだった。




町の目抜き通り に出た。

商店街では 地震でたくさんの家が倒壊した。



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また、ガラスを割って住宅に侵入し金品を取られたり、動物の侵入などもあった。

人が住まないと家が傷む、そうして家が朽ちていった。

そうした住宅は次々に取り壊され、あちこちが空き地と化していた。


ここには同級生の実家がたくさんあったが、取り壊されてしまったところもあった。




次に母校の小学校に行った。

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小学校の周りには、自分の身長より高い雑草が生えており、校庭が見えなくなっていた。

中学校と同じく、小学校も別の町に避難している。




お昼時になり、お腹が空いてきた。

しかし、食事をするところが極めて少ない…。


営業している飲食店、商店が まだまだほとんどない状態なのだ。

一番のメインのショッピングモールも閉まったままだ。



役場近く横の仮設商店街に食堂があったが、混雑していたため避けた。

町での食事は諦めた。




■海側へ


今回 一番行きたかったことろに行く。

高台に 新たに造成された 霊園である。

DSC_6988.jpg


ここからは太平洋まできれいに望める。


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震災前は、海側にはたくさんの集落があり住宅が密集していた。



ここから見ると、全てが津波に流されたのがよくわかる。



霊園には慰霊碑が立っており、海を見下ろしている。



慰霊碑にはこう綴られている。

-------------
平成二十三(西暦二〇一一)年三月十一日 午後二時四十六分、福島・宮城・岩手を中心に最大震度七の地震が発生した。
この地震により家屋は倒壊し、道路は寸断された。その約四十分後に町沿岸に津波の第一波が到達した。
第二波が襲来した後、さらに高さ十五mを超す大津波が町を襲った。
住民にはそれまで大津波被害の記憶はなく、避難が遅れ大津波に驚愕し、集落は全てのみ込まれた。
翌十二日には東京電力福島第一原子力発電所の事故により、国から避難指示が発令されたため、住民は避難を余儀なくされ捜索や救助を断念せざるをえなかった。
この地震と津波により、住民百八十二名の尊い命が失われた。
私達は、災害は再び必ずやってくることを忘れてはならない。
ここには太古の昔から人が住み、青い海と白い砂浜を眺望できる所である。
この地に、犠牲者の御霊を慰めるとともに、先人が愛し豊穣の大地と海を慈しみ、町の復興を願い、この碑を建立する。
-------------


ここに記されているとおり、救助を待っている人がいた という話はたくさん聞いている。

しかし、原発事故のために 緊急避難指示があり、救助も捜索も断念したという悲しい事実がある。

ここから見下ろす 何もない風景 を見ていると、その無念さと虚しさに包まれる。



霊園を後にして海に向かった。


海へと続く道は途中でアスファルトが途切れ、砂利道になっている場所もあった。

道にはひっきりなしに大型ダンプが行き交っている。


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海沿いには、以前にはなかった高い堤防が建設中であった。

復興にはいろんなものが必要なのか。



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海の近くにあった小学校。

ここも大きな津波に襲われた。




■実家のあった場所


最後に 実家があった場所に立ち寄った。

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実家も人が住まなくなって、すごく傷んだ。

とても住める状態ではなくなったため、昨年取り壊すことが決まり、更地になった。


ここが帰る場所だった。

母は、更地になって使う見込みもない この土地を 手放せずにいる。




■感想

こういった原発避難区域の風景は、テレビなどで見た方も多いと思う。

地縁のない人で、わざわざ ここに行く人は少ないと思う。


こうやってお伝えしても、全てを伝えることはできないと思う。



当事者にとっては、以前の生活があり、震災の被害があり、かつ現在がある。


原発事故の影響で街自体が機能停止し、人がまったくいなくなったときの異様さは筆舌しがたかった。



震災から7年経っても、避難先で 放射能のことで 子供がいじめられた というニュースも目にする。

とても悲しいことだ。

この現実を知って、その人の立場に立って もう一度考え直してみてほしい。




故郷を失うということは、こういうことなのだ。




町の一部地域は避難指示を解除されている。

すなわち 町に戻って 住むことができる地域もある。

しかし、買い物をするところも十分になく、病院もないこの場所で 今暮らすことは困難を伴う と感じた。



少しずつではあるけど、いろんなことが進んでいる感じも見てとれた。

しかし同時に、 7年経っても まだこの状態か、という思いも強く残った。



■願い

復興、それは多くの人の願いであると思う。

でも、どうなったら 復興と言えるの?、という疑問もある。


ここに住んでいた人が 本当にどれだけ戻ってくるのか。

特に、私達のような子育て世代には、かなり難しい問題であると思う。



せめて このような現実があることを 心の片隅に 置いておいていただきたい。




東北には 他にも たくさんいいところがある。


地縁のない方でも、ぜひ 東北に遊びに行って欲しい。


悲しいことも、楽しいことも、素晴らしい景色も、東北の頑張り を 肌で感じて欲しいと思う。






それが わたしの 願い。





福島には こんな景色が待ってます。

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Category: ツーリング
Published on: Sat,  09 2018 23:00
  • Comment: 10
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10 Comments

会長  

やっすんさん!
こんばんは!

阪神大震災復興工事に携わった会長です

目の前の風景がとても現実とは思えませんでした。
昨年、自販機うどんを食べに神戸に行った時すっかり変わってしまった街並みは正直ショックでしたね。
確かに街はキレイになったけど懐かしさも思い出も無くなってしまった気持ちになりました。
東北にはいつか必ずバイクで行きますよ
体質的に少し不安は有りますけど(病気では無いです)
毎日、神様と仏様に手を合わせて震災復興を願っています。
まだまだ時間が掛かると思いますが、今の私には東北産の野菜や魚介類をバクバク食べる事位しか出来無いけど・・・・・
三陸鉄道のNゲージ模型は持ってますよ。
勿論、走るやつね!

あらためて震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈りいたします  合掌

2018/06/10 (Sun) 00:33 | REPLY |   

やっすん♯  

Re: 会長さん

こんばんは(^^)/


会長さんは、大変なお仕事されてたんですね。


何度帰っても、言葉では表現できない虚しさに包まれます。



震災からの復興と言うのは、元通りにすることではなく、新しい街を作ることなのかもしれません。


食べ物も豊かな東北ですので、農業における風評被害・実害は甚大なものです。

応援してくれる方もたくさんいらっしゃるので、ほんとうに感謝・感謝です。



最後に写真に載せたのは、磐梯吾妻スカイライン 含む 福島三大ラインです。

是非、みなさんに走っていただきたいと思います。

素晴らしい景色が待ってますよ!

2018/06/10 (Sun) 18:39 | REPLY |   

サムさん  

こんばんは(^ ^)

やっすん♯さんのこの東北ツーリングは、ブログに載せて欲しいと思ってました。

同じ東北でも、福島県だけは原発事故という別の災害で大変な思いをしてる地域ですから本当に辛いと思います。

住める家があるのに放射線で危ないから住むなと言われて泣く泣く避難して、解除したから良いよなんて言われても…簡単に帰るなんて出来ませんよね。

もし事故を起こしたのが福島第一原発じゃなくて女川原発だったら…私の地域は…私は…


だから、この記事を通して皆さんに現状を知ってもらう事が出来たと思います。
そして私自身、福島の今を知ることが出来ました。ありがとうございます。



最後の磐梯吾妻スカイラインの写真、素敵です。

2018/06/10 (Sun) 21:58 | REPLY |   

ふぉー  

おはようございます

なんて言えばいいのか…
言葉がみつかりません

必ず行きますよ

2018/06/11 (Mon) 08:58 | REPLY |   

ちひろ  

やっすん#さん、こんにちはー。
先日お会いした後、予定通り東北に向かわれていたのですね。
東北の現状を伺う機会はあるのですが、浜通りの話は数少なかったので、この記事を書いていただけて良かったです。

B1の東北復興ツーリング然りですが、また福島3ラインなど赴きたいと思います。
今度はカブで福島ではなく、CBで行きます(キッパリ

2018/06/11 (Mon) 18:48 | EDIT | REPLY |   

やっすん♯  

Re: サムさん

こんばんは(^^)/

東北ツーリング行ってまりました!

今までのツーリングで最も大切なツーリングだったと思います。
わたしにとっては、この先も忘れられないものになりました。


どの被災地も被害の大小に関わらず、当事者の方々は大変つらい思いをされていると存します。

わたし自身は直接被災しておりませんでしたが、実家がありましたのでわかる部分があります。

震災後すぐの 人っ子一人いない町は、とても恐怖を感じました。

いつ どこで 同じようなことがわかりません。


たくさんの人のやさしさにも触れました。

わたしも どんな時でも、人にやさしくできるような人間でありたいと思います。


磐梯吾妻スカイラインは、天候にも恵まれ本当に素晴らしかったですよ!
感動しました!

R25の慣らしが終わったら、遠出してみてくださいね!

2018/06/11 (Mon) 21:26 | REPLY |   

やっすん♯  

Re: ふぉーさん

こんばんは(^^)/

実は東北ツーリング行ってきました。

色々と思うところが たくさんありました。

故郷はいつでも 心の中にあるとは言え やはり目にすると 複雑な気持ちになりますね。



東北は素晴らしい景色も おいしい食べ物も たくさんありますので
ぜひ 遊びに行ってみてくださいね。

2018/06/11 (Mon) 21:29 | REPLY |   

やっすん♯  

Re: ちひろさん

こんばんは(^^)/

先日はツーリングに行く前にバッタリお会いしましたね!

このツーリングの前にチェーンメンテをしておこうと思ったら、ルブが切れて慌てて買いに行った次第です(笑)


やはり今の浜通りは行きにくいですし、話が少ないのもうなづけます。

震災前は海の幸も豊かだったのですが、それも今は何とも…。


でも東北は広いので、CBで片っ端から走ってあげてください!


土曜日にB1で復興ツーリングのお話聞いてきましたよ。
参加したくなりました。

2018/06/11 (Mon) 21:34 | REPLY |   

鉄壁  

おはようございます
僕も一度、福島には行きたいと思ってます。
陸路では厳しいので、フェリーとか使いつつバイクで行ってみたい
ですね。
福島に住んでた友人の会社は津波で破壊され、今は神奈川に移転し
友人もそっちで元気にしているそうです(会社の慰安旅行で関西に
来ていて、社員さん全員無事だったとのことです)
ほんと、何が起こるかわからないものです。緊急時の備えだけはし
ておこうと思ってます

2018/06/14 (Thu) 08:24 | REPLY |   

やっすん♯  

Re: 鉄壁さん

こんばんは(^^)/

コメントありがとうございます。

ご友人の方もさぞかし大変だったことでしょう…。

津波はほんとうに恐ろしいですね。

わたしたちはこれを教訓にしていかなければならないと思います。


福島いいところたくさんありますんで、ぜひ行ってみてください。

日本酒の醸造元もたくさんあって、おいしいですよ。


名古屋~仙台のフェリーに乗って、戻りながらツーリングもいいかもしれませんね!

2018/06/14 (Thu) 21:52 | REPLY |   

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